ド田舎市民ウォーカーの日常

山形を拠点に活動する社会人競歩選手の徒然

できるかどうかは重要じゃない

 

どうも、三澤です。

 

この度の台風19号の被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。

 

幸い私の住む山形市は目立った被害もなく済みましたが、関東方面やお隣福島県等、各地で甚大な被害の状況を連日の報道で見る度に胸が痛みます。

 

被災地の1日も早い復興と、被災された皆様が1日でも早く笑顔で生活ができるようお祈り申し上げます。

 

私も、今普通の生活ができることが当たり前ではないということを噛み締めながら日々を過ごしていきたいと思います。

 

 

 

さて、本日は私のこれまでの陸上競技生活の中で印象に残っているレースについてお話させていただきたいと思います。

 

競技者の方なら、誰しも印象に残っているレースというものがあるのではないでしょうか?

 

自己ベストを出した、全国大会出場を決めた、ずっと勝てなかったあいつに勝てた……

など、色々な思い出が残るレースはずっと自分の中に印象深く残り続けるかと思います。

 

私がこれまで幾度となく長距離走競歩のレースを行って来た中で、最も印象に残っているのは、 高校3年時の東北高校総体5000mWです。

このレースは、私の競技生活のターニングポイントとなるレースでした。

 

 

県総体を勝ち抜き、インターハイがかかった東北総体の出場権を獲得しましたが、私はインターハイというものは意識していませんでした。

 

というか、現実的に考えて自分の実力では全国大会など夢のまた夢、、

と考え、自分には関係の無い舞台、と考えていました。

 

むしろ東北総体に関してはタイムや順位などは特に目標を持っておらず、青森での開催ということもあり半分旅行気分で来ていたのが本音でした。

 

普通であればインターハイを目指して出るべき大会なのに、今思えば非常に勿体ないなと感じています。笑

 

そんな旅行気分で青森に来ていた三澤少年が、一瞬にして旅行気分がなくなってしまった出来事が起こります。

 

自分のレースを翌日に控えた大会初日。

同じ高校の同級生が女子5000mWで5位入賞しました。

 

同じ学校のチームで、唯一の競歩仲間であった彼女が表彰台に乗っている姿を見て、私は思いました。

 

「これ、俺もやるしかないじゃん、、」

 

一気に緊張が最高潮に達した三澤少年。

 

翌朝には地元の新聞で昨日の女子5000mWの結果を知った母親から、「お前もいけるぞ!」とメールがくる始末。

ええい、わかっとるわ。頑張ったるわ。

 

そんな旅行気分から一転しガチレースモードになった三澤少年。ウォーミングアップを済ませ、ユニフォームに着替えハチマキをしめて、ついにレースが始まりました。

 

緊張ガチガチで臨んだレースには、思わぬハプニングがありました。

 

レース開始から600m。集団の中で歩いていた時に周りの選手の肘が腕時計にあたり、時計が止まってしまいました。

 

現在のペースを確認できなくなり、早くも焦り出す三澤少年。

 

レースはこれまで経験したことのないようなハイペースで進む。苦しくてたまらなくなってきた3000m通過時、ふと警告掲示板を見ると……

 

なんと2枚の警告があるではありませんか。

 

 

ここから一気に完歩を目指す安全運転モードに切り替え。

時計を見ずとも、あきらかにラップが落ちてるのはわかりました。(まず時計止まっちまったけど。)

 

苦しみながら一人旅をしていましたが、3600mくらいで迫り来る後ろの選手に抜かされました。

 

彼はかなりちょうどいいペースで歩いていたので、この選手についていこうと思い、ひたすらつきました。

 

歩きながら、顧問の先生からは「このままいけば国体標準切れるぞ!」と言われていたので、フォームを気にしつつも粘らなきゃ、という気持ちでした。

 

最後は離されましたがフォームを保ちながら歩ききることが出来たので彼は私の恩人です。

 

 

ちなみにこの選手は、翌年に山形の大学へ進学し、まさかの山形の競技場で再会を果たしました。

彼が大学在学中は一緒に練習やレースをすることもしばしば。なんとも不思議な縁です。

 

しかしこれもまた、このレースが私にとって印象深い理由の一つです。

 

 

さて、競歩はゴールしたらその場で順位が確定するわけではございません。

 

ゴール直前の警告は2枚。

もしかしたら、ゴールしてから3枚目の警告が出される可能性もある……

 

私のゴール時の着順は、7番目でしたが

すでに私より前にゴールした選手が失格になっていたので、3枚目の警告がでなければ6着。つまり入賞です。

 

レースが終わり、荷物を受け取り一旦着替え、仲間と見に来てくれた母親、祖母の待つスタンド席に向かいました。

 

確定まで、30分くらいでしょうか。

非常に長い時間でした。

 

失格か、入賞か。

 

人生で1番ハラハラしていた時間だったと思います。笑

 

そして、順位が確定し1位の選手から名前とタイムが呼ばれていきました。

 

3位、4位、、ここまでインターハイ出場です。

そして5位。先ほど引っ張ってもらった選手でした。

 

そして、6位。

 

 

 

 

 

 

「三澤くん 山形商業高校。22分53秒42」

 

 

私は、失格にならず東北総体で入賞することができました。

 

名前が呼ばれた時は安堵感で一気に力が抜け、仲間達の前にもかかわらずボロボロ涙を流してしまったのを今でも覚えています。

 

そして結果発表をしてまもなく、入賞者の表彰が行われました。

 

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古い写真で画質もあまりよくありませんが、当時の写真です。

 

自分がこの場に立っていることが不思議でしたが、充実感で溢れた瞬間でした。

 

そして、時計が止まっていたため色々落ち着いてからタイムを確認したのですが、この時の記録22:53,42は当時の自己ベストを30秒以上更新し、さらに当時の山形県が設定した国体標準記録を突破するものとなりました。

 

このレースの3週間後に行われた山形県の国体予選。

そのレースで私は勝ち、国体への出場を決めました。

 

初めは全国大会なんて夢のまた夢、、

なんて考えていたのが3週間後には全国大会への出場へつながる、、、

 

まさに競技人生のターニングポイントとなったレースがこの東北総体でした。

 

正直、ここまでの展開がめまぐるしくなかなか整理するのに時間がかかりました笑

 

 

人生は何があるかわかりません。

 

 

ちょっとしたきっかけで大きく物事は変わるし、変えられる。そんなことを感じた貴重な経験でした。

 

今、私がお世話になっている山形競歩にはとても志の高い選手たちがいます。

 

特に高校生は、近年山形の選手がインターハイ出場を果たすことが多く、それに刺激を受けて「自分たちも!」とインターハイを目指して練習に励む選手が増えてきています。

 

昔の私のように、特に何も考えず東北総体にでる、、といったような感じではないのですばらしいなあ、、と思っています笑

 

しかし、やはり本気でインターハイに出たいのならまずはその気持ちを作ることから始めなければならないと思います。

 

できるかどうかは別として、具体的な目標としてインターハイ出場を意識しなければ、偶然ではなかなかやり遂げられない目標であると感じています。

 

どうか、今の若い選手達は

少しでも達成したいと思った目標があれば

それを失敗した時のことは考えずに積極的にチャレンジしてほしいなと思います。

 

私が言っても説得力はないかもしれませんが。笑

 

さて、今日は一段と長くなってしまいました。

 

読んで頂き、ありがとうございました!